奈良の吉野山と東京の飛鳥山
日本の桜文化が、奈良の吉野山を起源とするということを述べた。そして、江戸随一の桜の名所・飛鳥山が、八代将軍吉宗が作らせた江戸版吉野山だということも。つまり、王子の飛鳥山は、ミニ吉野山なのである。下の写真が2004年春に私が撮った吉野山の写真である。「奥千本・上千本・中千本・下千本」と言われるが、吉野山全体で一説に3万本の桜があるとされる。写真は、上千本から中千本にかけての遠景である。私は、ひとたびこの満開の桜の森の中に迷い込むと、気が遠くなるような陶酔感に襲われた。かつていにしえの人々は、そうした陶酔感を、蔵王権現の降臨と受け止めたのではなかろうか。
奈良・吉野山 (撮影: 石川 雅一)
今日、仕事で近くに行ったついでに東京北区の飛鳥山に立ち寄ってみた。桜は七部咲きほどになっていた。風が強かったが、このくらいの桜は枝を揺るがせてさえも、まだ風に花を散らすことは滅多にない。それは心強くも感じたが、それでもいつまでこの強風に耐えられるかと思うと、気が気でない。下の写真が本日(4月1日)の飛鳥山の桜である。吉野山の雄大さには比べるべくもないが、都会の中の桜の小山は貴重である。
東京・飛鳥山 (撮影: 石川 雅一 )
吉野山とミニ吉野山たる飛鳥山との違いは、その規模だけではない。植わっている桜の種類が大きく異なるのである。吉野山の桜は、ほとんどが山桜である。それに対して、飛鳥山の桜は、大部分がソメイヨシノなのだ。上の写真を見て、色的には遠目から見たら同じ淡いピンクがかった白に見えるだろう。ソメイヨシノは花が白くても「がく」が赤っぽくて、やはり遠目でピンクに見える。。山桜は違う。ヤマザクラの花は真っ白であるが、それではなぜ遠目で淡いピンクがかって見えるかと言うと、赤っぽい葉が花々の間に交じるからである。白い花と赤い葉とが遠目で混じり合ってピンクに見えるのである。
ソメイヨシノでは緑の葉が出てくるのは花が散ってからである。しかし山桜では、開花と同時に赤い葉が出てくる。私は吉野山で次のような言葉を何度も耳にした。「あれ、なんや、もう葉桜やないか」 ・・・・ つまり、それらの人々は、ソメイヨシノの生態に慣れ親しんでいたために、山桜の最高の見頃だったにもかかわらず、それを「葉桜」と受け取って落胆してしまったのである。知らないということは、なんと罪なことか。私は出来るだけ多くのそうした人に、「これはヤマザクラで、花と葉が一緒に出るのですから、今が盛りですよ」と言って伝えたが、ひとりではとても伝えきれるものでないのは当然であった。
飛鳥山の桜は、八代将軍徳川吉宗の頃にはソメイヨシノではなかった。そう断言できるのは、ソメイヨシノなる品種が、江戸末期以降にあらたにつくられた品種だからだ。それでは、吉宗のころの飛鳥山の桜はいったいどんな品種だったのか?それは今となっては想像するしかないが、私が勝手に想像するには、おそらくは、吉宗は吉野山からヤマザクラの種木をはるばる江戸へ運ばせたのではあるまいか?その飛鳥山の桜も、一時はほとんどなくなりかけた時期もあったという。もともと人工の生態系だけに、人の手助けなしには弱いのである。吉野山の桜も、ヤマザクラであっても、吉野の里の人々が歴代たんねんに育てることに手を貸してきたものである。
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コメント
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steinbacchさん
私はいつか吉野山に行きたいと思っていす。歩いて、熊野方面まで行ってみたいです。
でも、桜のころはきっと人、人、人・・・だろうと思うと、なんだか、いつ行けるかわかりません。
飛鳥山の桜きれいですね。
投稿: ルディー和子 | 2010年4月 4日 (日) 22時44分