艦内神社に見る、「信仰と国家あるいは宗教と政治」
文学青年だった叔父が大洗で不慮の水死を遂げていることもあってか、
(「三島由紀夫が推奨した二作品」 http://poet.air-nifty.com/blog/2013/08/post-7119.html )
Copyright © 2014 Masakazu Ishikawa
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社殿でお祓いを拝受したこともあったので、「大洗さま」という神社社報が時々送られてきていたが、今年(2014年)6月発行社報の表紙にあった護衛艦の写真を見て、磯前神社の神を奉祭する護衛艦があることを初めて知った。その社報記事は、磯前神社の分霊を奉斎してきた護衛艦「いそゆき」(はつゆき型護衛艦の六番艦)が29年間の職務を終えて除籍退艦となり、長崎県佐世保基地において青木艦長以下乗組員参列のもと昇神祭が斎行されたという記事であった。
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旧帝国海軍や海上自衛隊が艦内で祀ってきた神社についてまとめた希有な本が先般刊行された。その名も「帝国海軍と艦内神社 ・・・神々にまもられた日本の海」というタイトルである。著者は京都大学卒の久野潤(くの じゅん)氏で、内容は自分の脚でインタビュー調査を積み上げた実に地道な本である。艦内神社についてまとめた本としては初めての本だという。
本書は護衛艦「ありあけ」の宗教行事が新聞メディアに問題とされた2002年の出来事から書き始めている。長野県南安曇郡穂高町の有明山(ありあけやま)神社で、2002年3月に就役予定の海上自衛隊の新護衛艦「ありあけ」の菅原艦長を招き、神社が祭る神の霊を同艦に分け与えるという「御分霊(みたまわけ)」の神事が行われたことに対して、政教分離の原則に抵触するのではないかという批判が出たのである。すなわち憲法20条「信教の自由」と憲法89条「公金は宗教組織に供してはならない」の問題である。
政教分離の問題については、私もかつてインドで取材をしたことがある(secularism)。 ヒンズー教やイスラム教やキリスト教やシーク教やパルシーなど多数の宗教が鮮烈に分かれているインドでは日本など問題にならないくらいに政教分離の問題は先鋭的に社会に反映されるのである。
しかしながら、日本は世界のなかでも例を見ないほどに最も政教分離原則が厳しい社会とされている。ものには程度というものがあるのである。たとえば米国などは大統領就任式を見ても聖書に手を置いて宣誓するのが決まりとなっていて、宗教と政治とは切り離すことができないのである。英国でも国教を定めている。政教分離とは、自分たちの伝統的な信仰を重視しながらも、他の信仰や宗教に対しても政治的に寛容であるということが世界的な主立った共通認識なのである。こうした世界観のなかで日本のしきたりも見る必要があるように私には思える。
日本が政教分離原則で世界で最も厳しい国になったのは敗戦直後から敗戦国として強いられてきた慣行であるということが事実としてある。占領軍は日本の優れた航空機製作技術を封殺するために航空機産業の継続育成さえ許さない時期が戦後長く続いたが、そうした占領政策は文化面にも強く及んでいた。私は剣道初段であるが、剣道というスポーツもGHQは軍国主義的だとして一時禁止したのであった。 護衛艦「ありあけ」の例で言えば、1935(昭和10)年に旧帝国海軍の駆逐艦「有明」が就役した際に、ゆかりの名として神社の祭神を艦に分霊したことがあるという。護衛艦の艦内神社はこうした旧帝国海軍艦船の艦内神社の伝統を継いだものである。旧軍がやったことをGHQはすべて否定して日本から軍隊色を消滅させようとしたものの、東西冷戦のなかで朝鮮戦争が起きると、日本の再軍備が必要だと米国は手のひらを返した。日本はこういう政治情勢の中で左に揺れ右に揺れ、本来の日本人の伝統的な心のあり方をとかく忘れがちだったのではないだろうか。親を殺し子を殺し友人を殺すような荒んだ心と、不法薬物に逃亡するような病んだ心は、いったいいつどこから日本人の精神構造に入り込み蝕むようになってきたのだろうか。かつて日本人は八百万(やおよろず)の神や万物を崇拝し、親を敬い、日々感謝の心で生きる民族ではなかったのではあるまいか。
「帝国海軍と艦内神社 ・・・神々にまもられた日本の海」では、旧帝国海軍の艦船で祀られてきた神社が数多く網羅されている。戦艦大和(やまと)に奉斎された神社は奈良県天理市の大和(おおやまと)神社だという。また、軍艦だけではなく民間船舶も船内神社を祀っていたとされ、たとえば貨客船氷川丸(ひかわまる)には、氷川神社の紋章が船内に意匠されているのだという。
「帝国海軍と艦内神社」は興味深くもきわめて面白い本である。忘れかけていた何かを見いだすことがきっとあるのではなかろうか。
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