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  • 三谷 宏治: マンガ経営戦略全史 革新篇

    三谷 宏治: マンガ経営戦略全史 革新篇
    同じ著者の漫画ではない方の『経営戦略全史』も読んだが、マンガ版のほうがヴィヴィッドで出来が良い(と言ったら著者に怒られそうだが)。少なくとも経営戦略の全史という硬いテーマが、血の通った活き活きとしたストーリーとしてすんなりと脳に入ってくる。「マンガ」のほうは「確立篇」と「革新篇」とに分冊化されており、どちらも読むべきだと思うが、「革新篇」のほうが新しい理論家が網羅されているのでより興味深い。

  • 三谷 宏治: 経営戦略全史 (ディスカヴァー・レボリューションズ)

    三谷 宏治: 経営戦略全史 (ディスカヴァー・レボリューションズ)
    こちらを先に読んでから「まんが版」をあとから読んだが、漫画版を先に読むことをお勧めする。ただし、こちらもいずれ読みたくなるだろう。

  • 大井 篤: 海上護衛戦 (角川文庫)

    大井 篤: 海上護衛戦 (角川文庫)
    シーレーン(海上輸送路)を絶たれたならば資源を持たない日本のような海洋国家に未来はない。だからシーレーン防衛は日本にとっての最も重要な課題である。その当たり前のことが戦前の指導者たちはわかっていなかった。もの凄い情報にあふれたこの本は日本国民必読の書であると言える。 (★★★★★)

  • 長沢 伸也・石川 雅一: 京友禅千總 450年のブランド・イノベーション

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    戦国時代より450年以上も継続する京友禅メーカー「千總:CHISO」の百年に一度の危機を何度も乗り越えてきたノンフィクション! (★★★★★)

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2016年9月 4日 (日)

東京芸大 神輿の恐るべき完成度 藝祭2016

 博物館と美術館が集中する上野の森に芸術の秋の始まりを告げる東京芸術大学の藝祭2016(今年の藝祭は9月2日から4日までの開催)。
今年も藝大神輿(みこし)の大賞作品は恐るべき完成度であった。
 
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なんと言っても、藝祭の最大の見物は巨大神輿である。
 
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今年の大賞受賞は、日本画・邦楽チームが制作した「花札」だった。
 
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花札の絵柄がそのまま飛び出てきたような造形美に、私も息をのんだ。
恐るべき完成度の高さである。
アイデア良し、造形も良し。大賞に選ばれて当然というべき素晴らしい作品だった。
 
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優れた作品はどの方向から観ても見所が満載で飽きさせない。
上の写真はこの花札を後ろから観た写真である。
花札があって、そこから絵が立体化して飛び出してきている意匠が見事である。
 
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こうした素晴らしい作品群はチーム一丸となって数週間前から制作に取り組んできたものである。下の写真は1週間前に撮った制作中の作品である。
 
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東京藝大の各科の1年生たち各科の混成団体が競ってこれらの巨大造形物を作り上げるが、
1年生でこれだけのものを創造できる東京藝大の底力には毎年のことながら感嘆させられる。
 
 
    Copyright © 2016  Masakazu Ishikawa

2015年9月 5日 (土)

藝祭2015 宮田学長が藝大生に檄を飛ばす

 

 上野の森に芸術の秋の始まりを告げる藝祭2015が始まった。上野公園での開幕式で、東京藝術大学の宮田亮平学長は、居並ぶ藝大生たちを前にして次のように力強く述べた。「おめーら、最高だぜ!日本の文化芸術を創るのは、お前たちだっ!」

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檄を飛ばした宮田亮平学長  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

 学長挨拶のあとで恒例の巨大神輿8チームの受賞作品発表があった。

中央通り賞・アメ仲賞・上中賞・上野六丁目賞・桜パンダ賞・明神賞・マケット賞・大賞・学長賞の9つの賞が発表されたが、中でも最高の賞とされる「大賞(上野商店街連合会賞)」の発表で「工芸・楽理」が叫ばれると、会場は大歓声に包まれた。

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大賞受賞の工芸・楽理 「オオサンショウウオ」  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

大賞のトロフィーを見て筆者は驚いた。こ、これは・・・侍(サムライ)の肖像ではあるが、その顔のメイクは、件(くだん)のデザインではないか!?なんと呼ぶべきか、ボツザムライか?これほど強烈なパロディがあろうか?これは、「お前たちはオリジナリティを追求せよ」とのメッセージなのだろうか。

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大賞のトロフィー授与式  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

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大賞のトロフィー (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

 巨大神輿大賞以外の賞の受賞チーム作品は以下の通りであった。

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中央通り賞: 建築・声楽「大蛸と遺跡」  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

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アメ中賞:油画・指揮・打楽器・オルガン・チェンバロ「アストラル・モンスターズ」  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

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上中賞:先端芸術表現・音楽環境創造「恐竜卵」  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

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上野六丁目賞:デザイン・作曲「白猪」  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

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明神賞:彫刻・管楽器・ピアノ「金太郎と熊」  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

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マケット(maquette)賞:工芸・楽理「オオサンショウウオ」  (photo: Masakazu Ishikawa) 

 

 以上、藝祭初日の最大のイベントである巨大神輿コンテストを中心にお伝えした。藝祭は金曜から日曜(2015年9月4日~6日)までの三日間開催された。

(注: 各チームの神輿の名前は特に発表されておらず、上記記事の中の各神輿の名前は、制作チームへの聞き込みや外観の印象をもとに筆者の独断を交えて付けたものである。ご了承いただきたい。)

  

    Copyright © 2015  Masakazu Ishikawa

2015年6月28日 (日)

気学で予想した2015年 中間報告

 
今年2015年の1月に、2015年という年がどういう年になるかについて予想記事を或る業界紙に書いた。それから半年過ぎた今、「ものすごい当たっている!」、 「当たりすぎではないか?」という好反響をいただいている。そこで、私がその業界紙でここでどういう予想を立てたかについて、その文章を再掲させていただきたい。以下がその文章である。ちなみに私が予想予測の拠所(よりどころ)としたのは、気学、すなわち中国占星術である。私は中華星霜学会(台湾)日本支部の渡辺サク子師に師事して気学を学んできている。以下、業界紙の記事を再掲する。
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2015

気学で予想する! 2015はどんな年か?

  石川雅一

 「気学」は中国占星術の系統にあたり、「陰陽道(おんみょうどう)」や「風水(ふうすい)」とも密接な関係があります。気学では新年は節分のあとの24日から始まります。2015年は「乙(きのと)未(ひつじ)三碧(さんぺき)」の年です。乙(きのと)は、新しい時代の始まりを意味しますが、堅い殻を破って地中で発芽した状態で、周囲からの重い圧力に押されながら地上に出ようとしてもがいている状態です。芽は伸びつつありますが、まだ重い土の中に埋まっているので発芽したての芽が伸びようとしても土に押されてゆがんで曲がった状態です。乙という字はまさしくその曲がった状態の芽の形を象形文字としてあらわしたものであると解釈できます。新しい時代が始まってはいるものの、周囲の状況は重苦しくその新しい時代の始まりをたやすくは許してくれません。そういう新しいものへの抵抗が今年はあるでしょう。次に十二支の未(ひつじ)ですが、「未(ひつじ)」という漢字は皆さん「未来(みらい)」という漢字を書くときに必ず使っていますよね。未来は「いまだ来ていない将来」ですが、「芽が出たばかり」という意味で言えば、「いまだ枝葉が出てはいない」という意味なのです。

ちなみに十干と十二支で、1012の数字の組み合わせは最小公倍数で60という数字が出てきます。60年経つと一回りして戻ってくるから、六十歳で「還暦」(かんれき)と言うわけです。今年「乙(きのと)未(ひつじ)」は、60干支の中では32番目に当たります。前回の「乙(きのと)未(ひつじ)」の年、すなわち今から60年前の年がどんな年だったかを振り返ると、今年がどんな年になるかというヒントが与えられるかもしれません。前回の「乙(きのと)未(ひつじ)」の年、すなわち60年前の1955年(昭和30年)は、旧ソビエト連邦を中心とする軍事同盟「ワルシャワ条約機構」が結成され、米国とソ連との冷戦が激化していった年でした。これと似たような状況が今年も起きてくることが予想されます。今、東欧ではロシアがウクライナに侵攻して局地戦争が激化しています。つい先日、ウクライナ人と国際電話で話したときにウクライナ東部での戦いについて私が「内戦(civil war)」という言葉を使った途端、彼女は「内戦ではありません!ロシアによる明らかな侵攻(intrusion)です」と私の言葉を明確に訂正してきました。またアジアに眼を向けると、中国が未曾有の軍事力拡大を遂げつつあり、日本の尖閣諸島のみならず周辺各国や米国海軍との摩擦が異常なほどに高じてきています。中国首脳は米国政府に対して「広い太平洋を米中で半分に分け合おう!」と発言しましたし、米国海軍艦艇を東シナ海と南シナ海からいずれ追い出すとまで言い始めています。中国はフィリピン領海の南沙諸島の環礁に多くの中国艦船を派遣して浅瀬を埋め立てて中国の海軍基地をフィリピンの目と鼻の先に実質的に作ってしまいつつもあります。さらにまた中東に眼を転じると、テロリスト集団ISIL(イスラム国)の台頭が中東地域の安定を著しく乱しています。こうした世界的に広がる軍事的な不安要素が2015年にはさらにいっそう激化していくことが予想されます。60年前の1955年はまた、第二次世界大戦敗戦国の旧西ドイツで連邦軍が結成され、西ドイツの再軍備が始まった年でもありました。これは東西冷戦の激化から米軍が西ドイツに旧ソ連と旧東ドイツに対抗する先兵になることを促した結果だったと解釈できます。今年2015年は、中国人民解放軍の海洋進出に対して米国が日本の海上自衛隊の即時対応能力の向上をさらに強く要請してくることが予想できます。安倍政権はそれに対して憲法改正を踏まえて対応しようとするでしょうが、乙(きのと)の象意から、野党によるきわめて重い反発が予想されます。安倍首相は「乙」の字の如く、今年は身を曲げて耐えざるを得ないでしょう。

 次に「三碧(さんぺき)」を見ていきます。去年2014年は四緑(しろく)の年でした。四緑は風を意味するので強風台風に注意が必要と一年前にこのコラムで述べました。その通り、去年2014年には強風台風が実際に来ました。台風8号で「瞬間最大風速75メートル」という恐ろしい言葉がニュースに出たことを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。三碧の今年2015年は雷(かみなり)が多い年になると予想できます。落雷に起因する事故に最も注意が必要な年となります。三碧(さんぺき)には雷の象意があるからです。爆発という象意もありますので、上記で触れましたように怒りに満ちた地域紛争はもちろんのこと、その他、火山噴火や工場や家庭でのさまざまな爆発事故などにも注意が必要になると思われます。

 

石川雅一 プロフィール

元テレビ局国際報道ジャーナリスト。株式会社グレース専務取締役。中華星霜学会日本支部三密科会員。管理美容師。MBA(経営管理修士)。早稲田大学大学院商学研究科ティーチングアシスタント。

著書: 石川雅一『平清盛の盟友 西行の世界をたどる』(鳥影社2012年。)

石川雅一『京友禅千總450年のブランドイノベーション』(同友館2010年。)

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  Copyright © 2015  Masakazu Ishikawa

2014年9月 5日 (金)

藝祭 2014 迫力あふれる巨大神輿たちの造形美

 上野の森に芸術の秋の始まりを告げる恒例の「藝祭(げいさい)」が9月5日から始まった。

「藝祭(芸祭)」とは、東京藝術大学の学園祭のことである。今年の藝祭の期間は、9月5日(金曜)から7日(日曜)までの三日間であった。藝祭の名物は、各科の1年生たち各科の混成8団体が競って造り上げた神輿(みこし)である。

 

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手前が日本画・邦楽の「白虎」、奥は彫刻・管楽器・ピアノの「九尾(きゅうび)の狐」    Masakazu Ishikawa 

 

 藝祭神輿の大賞は上野商店街連合会による投票で選ばれるが、2014年は、日本画と邦楽が制作した「白虎重来捕縛之図」であった。日本画・邦楽チームは、去年も「ナマズを摑む難義鳥(なんぎちょう)」が大賞を受賞したので二年連像の大賞受賞という快挙となった。ちなみに、今年の「虎捕縛」のモチーフは一休さんの問答からヒントを得たものだという。私が「なぜ白虎が波の中から現れているのか」と訊いたところ、青く渦巻いているのは波ではなくて実は雲なのだと言われた。ともあれ、虎の白色と渦巻く雲の青色との色のコントラストはとても綺麗だった。

 

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大賞受賞に喜び胴上げをしあう日本画・邦楽チーム      Masakazu Ishikawa  

 

 彫刻・管楽器・ピアノの「花魁(おいらん)と九尾の狐」は「六丁目賞」を受賞した。花魁の人体造形はおそらく最も造形的に制作難度が高いように私には思われ、その点はさすが彫刻科がかかわる作品であると感じられた。

 

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彫刻・管楽器・ピアノの「花魁と九尾の狐」     Masakazu Ishikawa 

 

 デザイン・作曲の「おどけ獺(かわうそ)」は、中央通り商店会賞とさくらパンダ賞とマケット賞の三つの賞を受賞した。

 

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デザイン・作曲の「おどけかわうそ」    Masakazu Ishikawa 

 

 建築・声楽の妖怪大集合は「アメ仲賞」を受賞した。

 

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建築・声楽の神輿    Masakazu Ishikawa 

 

 通りを挟む通称「美校(びこう)」と「音校(おんこう)」のキャンパスの中にはそれぞれ様々な屋台が出店しており、ビールやカクテルを飲みながら音楽やオペラなどを聴くこともできる。音校ではオペラなどが聴けるMANTO VINO(マントヴィーノ) と LA VOCE(ラ ヴォーチェ)、美校ではスタイリッシュなISSYUUが私の好みであった。ちなみにISSYUUは「一蹴(いっしゅう」のことで藝大サッカー部が運営する店である。

 

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ISSYUUで顧客対応をする杉江代表(左・黒シャツの男性)    Masakazu Ishikawa

 

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スタイルにあふれた、ISSYUUの店内     Masakazu Ishikawa

 

 手作りの作曲家シールを売っている店があったので、私はBACH(バッハ)のシールを買い求めた。

 

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作曲家52人のシール 1枚200円    Masakazu Ishikawa

 

 私の考えでは東京で一番強いパワースポットは上野の山の上だと思っているが、そのパワースポットの中心が藝大から東京国立博物館にかけての地帯だと思っている。その藝大が最も熱いパワーを放散する時がこの藝祭であることはまずまちがいないだろう。

 

    Copyright © 2014  Masakazu Ishikawa

2014年8月29日 (金)

国立西洋美術館「指輪展: 橋本コレクション」

 これは、国立西洋美術館としては珍しい、というか、どの美術館で開かれたとしても「珍しい」と言えるような展覧会かもしれない。すなわち、「指輪展」”RINGS”である。そう、この展覧会の展示物のほとんどは、あの宝石や貴石の指輪リングなのである。さらに驚くことには、今回展示された数百点の指輪は全てが国立西洋美術館の所蔵品なのだという。

 

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     Copyright © 2014  Masakazu Ishikawa 
  
 コレクターの橋本貫志氏(1924~)は東洋美術の蒐集家で80年代末以降は指輪を精力的にコレクトしてなんと指輪などの装飾品870点のコレクションを蓄積し、2年前(2012年)に国立西洋美術館にその宝飾品コレクション全点を寄贈したのだという。きわめて珍しいこの貴重なる展覧会はこうして日の目を見たのである。
 コレクションは本当に感嘆の一語に尽きる。古代エジプトから中世、近現代に至るまでそのすべてを網羅している。こういうコレクションを集められる見識学識と鑑定力の高みにはただただ舌を巻くのみである。しかもその蒐集の前提となる資金力。対象はなんと言っても宝石なのだ。考え得る限りの最低ラインで一個あたり10万円として計算して1億円近くになるが、実際にはオークションで一個あたり数千万円からひょっとすると1億円を超えるようなものもありそうなことを考えてそこで私は計算するのをやめた。しかもそれだけの高額かつ完璧なコレクションを築き上げたうえで、それを公的美術館にポンと寄贈するという態度が、私にはもしかしたらどんな宝石よりも美しいのではないかとも感じられた。
 
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     Copyright © 2014  Masakazu Ishikawa 
 
 上のパンフレットに大きく中心に載せられたリングは、展示77番のジョルジュ・フーケ(1862-1957)の「真珠とエナメルの花」である。これは確かにパンフレットの中心になるだけの魅力的な作品ではある。
 本展覧会では宝石や貴石の他に金属製やガラス製のリングも多く展示されている。展示87番のルネ・ラリック(1960-1945)の「ガラスの指輪」は文字通りガラスで出来ているのだろうが、貴石や宝石にも劣らない存在感と輝きに驚かされた。これこそデザインの勝利なのだろう。
 本展覧会には紀元前十数世紀の古代エジプトの「スカラベ」(昆虫のフンコロガシ)のモチーフが多く登場する。大きな丸い糞を転がして運ぶ昆虫のフンコロガシは、まるで太陽を運行しているかのようだと感じられて、古代エジプトでは「太陽神の化身」と考えられ崇拝されたのだという。丸にTの字を描いたような昆虫の背中の簡素化したデザインが宝石・貴石に刻まれている。私が驚いたのは、この古代エジプトの「スカラベ」のデザインとコンセプトがその後遙か後世にいたっても再現されていることであった。展示78番のジョルジュ・フーケ(1862-1957)の「スカラベ」は1900年頃の作品とされているが、まさにこういったデザインの普遍性と継承・継続性ということを私たちに問いかけているように思われる。
 
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     Copyright © 2014  Masakazu Ishikawa 
 
展示116番の「古代ローマ人の横顔を表された印章指輪」(16世紀、イギリス)は、最初見たときに、古代ローマ時代にローマで作られた作品かと思い込んだ。そこに刻まれた横顔肖像は男の自分から見ても本当に美男子で、もし女性が拡大鏡でこれを見たら恋に落ちる人がいるのではなかろうかと危惧したほどだった。古代ローマではなくて実は16世紀イギリスの作品であったが、古代ローマが一時征服した英国の地にはやはりローマの血と文化が底流にあったからこそ、こういう作品が作れたのではなかろうかと感じ入ったのであった。
 展示117番の「フルール・ド・リスが彫刻されたダイヤの指輪」にも心惹かれた。フルール・ド・リス(Fleur-de-Lis)はユリの花(もしくはアヤメの花)の紋章で深い歴史と意味を持ち、私が大好きな西洋の紋章であるが、それについて触れると夜が明けるのでここではあえて触れない。この指輪のデザインは本当に美しいが、そのデザインの背景を鑑みて見るとさらに深い輝きを放っている。
 私が今回の展覧会で最も美しくも素晴らしいと感じたのはどの指輪だったかと訊かれたら、私は迷わずひとつの指輪を挙げる。それは展示154番の「キリストの横顔」である。16世紀後期から17世紀にかけておそらくヴェネツィアの作品とされているリングである。これは向かって見て右を向いたキリストの顔を刻んだ緑色の宝石か貴石かガラスかは記されていないのでわからなかったが、いずれにせよ、その色と形と裏側から透過する光の神秘さとで私の心を捕らえて放さなかった。もうこの段階では、その素材はどうでもよくなり、そこに刻まれた信仰心の深さこそがそのリングの価値なのだと感じさせられた。
 展示306番の「ココの指輪」は1990年代、ココ(ガブリエル)・シャネルが愛した"Bagues Coco"(ココの指輪)の一方なのだという。大きさもデザインも堂々たるもので、一歩間違えば下品になりかねないような大きさと意匠の大胆さなのだが、きわめて気品が感じられるところがさすがはココ・シャネルの魔法であるように思われた。
 カメラ好きの私がとりわけ心惹かれたは、展示321番の「カメラが隠された指輪」(1950年頃、ロシア)だった。
1950年代にロシアスパイが使っていた指輪カメラで、フィルムは4ミリ四方のネガ8枚がその指輪の中に内蔵されて撮影可能とのことだったが、指輪の外側側面にはシャッターと思われる直径2ミリほどだろうか?のボタンと、フィルムワインダーと思われる突起と溝が展示品の下側に確認できた。金無垢もしくはゴールドプレートの指輪で宝石部分がレンズらしいのだが、いったいこの指輪カメラのレンズの明るさはF幾つで、最小焦点距離は何ミリで、現像時にどのくらいの解像度を持っていたのかが気に掛かってしょうがなかった。さらに面白かったのは、こうした指輪カメラが出来るような超小型化の技術が進展したきっかけが禁煙運動だったということだ。すなわち、従来はスパイカメラはたばこの箱とかライターといったガジェットにカメラを仕込んだスパイカメラが多かったものの、禁煙運動でたばこの箱やライターの出番が少なくなると、いきおいもっと小型化せざるを得ない状況に追い込まれていったというのである。
 
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     Copyright © 2014  Masakazu Ishikawa 
 
 今回の宝石展はほんとうに素晴らしい展覧会で、見ているさなかに私は感動で身震いさえ覚えかねない時があったが、さすがに指輪は展示品としては美術品のたぐいの中でも最小の部類に入ると思われ、単眼鏡(モノキュラー)が無ければ鑑賞にきついかもしれない。もちろん会場にはいくつかの作品にはルーペが固定されていて幾分かは拡大して見ることができるのだが、やはり自分でモノキュラーを持っていた方が良い。私がいつも美術鑑賞で携帯し、今回も持って行ったのは、Vixen 多機能単眼鏡 マルチモノキュラー 4X12である。
 
Vixen
     Copyright © 2014  Masakazu Ishikawa 
 
 この商品は最短合焦距離が20センチときわめて短距離なのがすばらしいのである。
これは倍率4倍モデルであり、この4倍モデルか、同じくビクセンの6倍モデルかで迷ったのだが、最短合焦距離の短さが6倍モデルのほうは25センチであり5センチ違う。この5センチというのはわずかな違いのように一見思えるが、実際に使ってみるとこの5センチというのはきわめて大きい違いなのである。よってこちらの4倍モデルの方を買ったのだが、実際に使ってみるとやはり実に正解だったと感じることがよくある。レンズの明るさが明るいというのも、博物館の中は美術品保護のためにわざと薄暗くしてあるので、ありがたいのである。また接眼部から目を15ミリ離したところからでもほとんど視野が見渡せる「ハイアイポイント」設計とメーカーが言っているので、めがねをかけたまま使うこともおそらく問題ないのではないかと想像する。
 私は美術館に行くのに、本品を手放したことはないが、今回の国立西洋美術館「指輪展: 橋本コレクション」ほど、このビクセン4倍モデルをありがたく感じたことはかつてなかった。
 

     Copyright © 2014  Masakazu Ishikawa

2013年10月15日 (火)

スリランカ内戦と象と人間の物語 『森の眼』 Kindle版で出版。

 

 スリランカ内戦と象使いの物語: 『森の眼』 ”EYES OF THE FOREST” 石川雅一著 が、

Kindle版でAmazonから出版されました。

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スリランカで26年間にわたって繰り広げられた内戦は、2009年にようやく終結したが、本書はその内戦下でスリランカの象使いを取材したジャーナリストが実体験を織り交ぜて書き綴ったリアルな小説である。確かに小説ではあるが、ここには多くの驚くべき事実が描かれている。
  衝撃的な知られざる内戦と象と人間のスリリングな物語。
本書は第1回ランダムハウス講談社新人賞1次選考通過作『震える森』を大幅に加筆修正した小説である。12万5千字、四百字詰め原稿用紙換算313枚の長編だが、その内容はスリリングなアドベンチャーで読む者を片時も飽きさせないであろう。特に南の島の楽園スリランカが好きな人や旅をしてみたい人にとっては、必読の書と言えるかもしれない。

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    Copyright © 2013  Masakazu Ishikawa

2013年9月 7日 (土)

藝祭2013のただならぬ熱気

上野の森に芸術の秋の始まりを告げる恒例の「藝祭(げいさい)」が9月6日から始まった。

「藝祭」とは、東京藝術大学の学園祭のことである。今年の藝祭の期間は、9月6日(金曜)から8日(日曜)までの三日間である。

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東京藝術大学        Masakazu Ishikawa 

 

 藝祭の名物は、各科の1年生たち8チームが競って造り上げた神輿(みこし)である。

この各科の神輿制作は7月下旬から始まり、藝祭直前に完成する。

以下の写真は8月27日時点の神輿制作風景である。写真でわかる通り、白い本体は発泡スチロールを接着して巨大な塊にしたものである。

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2013年8月27日時点の神輿制作風景        Masakazu Ishikawa

 

 上の白い発泡スチロール彫刻が下の写真のような神輿にできあがった。

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工芸・楽理の「サーフィン・マントヒヒ」        Masakazu Ishikawa

 

 藝祭神輿の大賞は上野商店街連合会による投票で選ばれるが、2013年は、日本画と邦楽が制作した「ナマズを摑む難義鳥(なんぎちょう)」が大賞を取った。この作品は同時に神田明神による「明神賞」も受賞した。

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日本画と邦楽が制作した「ナマズを摑む難義鳥(なんぎちょう)」     Masakazu Ishikawa

 

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「ナマズを摑む難義鳥(なんぎちょう)」     Masakazu Ishikawa

  

 「難義鳥(ナンギチョウ)」は江戸時代に描かれた妖怪の一種で、震災の後に復興特需で儲けた職人たちの酒宴に現れてナマズをつかみ取る江戸期の絵が残っている。職人たちは儲けた金でナマズの蒲焼きで酒を酌み交わしていたのだ。言うまでもなくナマズは地震の象徴である。制作者が日本画と邦楽だけに日本の江戸期の渋いモチーフを選びながらも現代の時流を感じさせるすばらしいテーマ設定である。また作品の完成度と迫力も群を抜いていた。

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藝大キャンパスに並べられた様々な神輿作品        Masakazu Ishikawa

 藝祭会場には学生が運営する露店が並び、ビールやたこ焼きやジャージャー麺やカレーなどが売られている。BarのMenuもなにやらアーティスティックで藝大らしさが現れているように感じた。


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アーティスティックな露店Barのメニュー     Masakazu Ishikawa

 

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藝祭には音楽もあふれている。邦楽、クラシック、オペラ、ロック、ジャズ・・・。

上の写真は美術学部キャンパスの特設ステージにおける、「イノセンス」という去年結成したというバンド。尺八を交えてコンテンポラリーな曲を演奏するのだが、それが実にマッチして自然だった。

また杏窪彌(アンアミン)というバンドもキュートで思わず引き込まれるような不思議な引力を持っていた。このバンドは藝大の学生ではないがボーカルが台湾の女性で日本語で歌って途中のお話はマンダリンという違和感がまた或る意味で異次元を感じさせる。ボーカル以外は日本の方だという。「ジャイアントパンダにのってみたい」という曲の同フレーズの延々とした繰り返しが不思議に蠱惑(こわく)的でいつまでも聴いていたいと私には感じられた。

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杏窪彌(アンアミン)     Masakazu Ishikawa

 

 この他、音楽学部キャンパスの奏楽堂では様々な無料コンサートが開かれており、入場整理券を奏楽堂前で配布していた。私は初日の奏楽堂での邦楽コンサートを視聴したが、典雅な雅楽から始まり、枯淡なる尺八、絢爛たる日本舞踊、婉麗なる琴の合奏と合唱による宮城道雄の「防人(さきもり)の歌」と、藝大の奥深さに圧倒される思いがした。ちなみにこの「防人(さきもり)の歌」で琴演奏をしている多くの演奏者の中、舞台右翼前方ににミス藝大候補の一人の「Arisa Yoshida」さん(声楽科)の姿があった。彼女には不思議なくらいに大きな存在感があるので多くの中に混じっていても目立って見える。Yoshidaさんは出店イタリア料理店LA VOCEの店長でもあり、店の中で「てんちょう」とプリントしたTシャツを着てかいがいしくスタッフたちの真ん中で働いてもおられたが、私的にはミス藝大としてこの方が最もふさわしいのではないかと感じた。結果はともあれ。・・・・

 キャンパスの外、上野公園の噴水の周囲にも露店が並び、藝大の学生たちが作ったグッズが売られていた。

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上野公園内の藝大露店     Masakazu Ishikawa

 

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工芸研究室の学生が作った陶芸作品@上野公園     Masakazu Ishikawa

 

 工芸研究室の学生が制作した陶芸作品も売られていた。御猪口で1000円からであったが優れた作品も見られた。上の写真の白い地に黄色い斑紋が景色となった作品は海藻を付けて焼きあげた陶器だという。

 去年(2012)の藝祭も一昨年に比べると活気があったが、今年の藝祭2013は、さらに陽気な活気にあふれていると感じた。

 藝祭2013は9月8日(日曜)の夜8時まで台東区上野公園の東京藝術大学で開かれている。個性豊かな学生たちが放つこのただならぬ熱気を感じてほしいと思う。私の考えでは、東京の一番強いパワースポットのひとつが上野の山だと思っているが、そのパワースポットの中心が藝大から国博にかけての地帯だと思っている。藝大が最も熱いパワーを放散するときに、そのエネルギーを受けに行くのもわるくはないと思う。きっとあなたの中に何か新しい感覚を見いだすに違いない。

 

    Copyright © 2013  Masakazu Ishikawa

2013年8月12日 (月)

三島由紀夫が推奨した二作品

 私が学生の時に父の学生服姿の小さなモノクロ写真を家で見つけたことがある。被写体は二十代の青年の写真だったが、息子の私にはすぐにそれが若い頃の父だと顔つきからわかった。しかしそれは父に訊くと実際には父の写真ではなく、父の一つ下の弟の大学時代の写真だった。私は、息子も区別が付かないほどの「双子のような」と父が言う父にそっくりの弟がいるのを知らなかった。その弟は大学生の時に水死した私の叔父だった。父からその叔父の遺稿集を手渡された私は知らなかった叔父に親近感を覚えた。私は小学生の頃から詩を書いていたが、同じように文学青年だった亡き叔父に自分との共通点を感じたからだった。

 叔父の石川和也は子供の頃から目から鼻に抜ける少年だったそうで、戦時中は軍のエリート純粋培養機関であった陸軍幼年学校に合格した秀才だった。戦後は東大受験に落ちて学習院大学に進んだ。学習院在学中に書いた短編小説『祖父』と『落葉』は三島由紀夫氏に推奨された。そしてその学生時代の夏、茨城県大洗海岸で離岸流で流された女子学生を救おうと石川和也は沖に向かい、戻らぬ人となった。太平洋戦争の終結から8年後のことであった。女子学生は他の人々によって助けられたという。この話を聞いて以来、私は8月の入道雲を見ると亡き叔父のことを思い出すようになった。父と瓜二つのその容貌と共に。

 叔父の死から1年後の昭和29年9月に有志たちの手で「石川和也遺稿集」がまとめられた。父が私に手渡してくれた黄色く変色した小雑誌がそれだった。

 三島由紀夫氏から推奨されたという二作品のうち『祖父』を以下、ここに掲載させていただきたい。文学好きな人に一人でも多くそれを読んでもらうことが故石川和也も一番喜び、菩提を弔うことにつながると信じる次第である。

 

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 石川和也の急逝直後に有志たちによって急遽活字化された文集だけに、誤植が複数見られることをお許しいただきたい。

 短編小説『祖父』で描かれている石川和也の祖父とは私の曾祖父のことである。私の父の家は代々土浦で造り酒屋をしてきたが私の曾祖父が幼いときにその両親が相次いで他界し清酒製造業は曾祖父の親の代で途切れた。曾祖父は幼くして両親をなくすというかわいそうな境遇だったが、鋭い人でそろばんを両手で弾く人だったと聞いたことがある。
 

 最後に、石川和也の小説をお読みいただいたことに心底からの感謝の意を表したい。

ありがとうございました。 拝

 

 

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2012年9月 8日 (土)

アートの熱気あふれる「藝祭」2012 

 

 上野の森に芸術の秋の始まりを告げる恒例の藝祭(GEISAI)が始まった。

藝祭とは、東京藝術大学の学園祭のことである。今年の藝祭の期間は、9月7日から9日までの三日間である。

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東京藝術大学        Masakazu Ishikawa 

 

 藝祭の名物は、各科の1年生たち8チームが競って造り上げた神輿(みこし)である。

この各科の神輿制作は7月下旬から始まり、9月7日の直前に完成する。

以下の写真は8月中旬時点の神輿制作風景である。写真でわかる通り、白い本体は発泡スチロールを接着して巨大な塊としている。それを電熱線やカッターで彫刻していく。

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8月中旬時点の神輿制作風景        Masakazu Ishikawa

 

 その巨大な発泡スチロール彫刻に、様々な塗料で色を塗っていき仕上げる。

今年は、獅子、カエル、宇宙飛行士、様々な面を付けた神像などがみられた。

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様々な面を付けた神像        Masakazu Ishikawa

 

 藝祭神輿の大賞は、上野の商店街による投票で選ばれるとのことだが、今年は、建築科と声楽科が制作した「宇宙飛行士」が大賞を取った。

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建築科と声楽科が制作した「宇宙飛行士」        Masakazu Ishikawa

 

神輿はよく観ると、各科の特徴がよく出ているように思われる。「宇宙飛行士」は、いかにも建築科らしく、宇宙服の生命維持装置の細部の特徴がよく再現されており、また、アストロノートに添えられたロケットに付けられたステン(汚し)がマニアックな表現となっていた。

 また、以下の2匹のカエルが重なった神輿は、日本画科と邦楽科による作品であるが、ガマガエルの皮膚などの塗りが日本画科らしく、繊細かつ写実的である。特に、添え物としてオタマジャクシを張りぼて手法で風船に和紙を貼り付けて作ってあるのだが、このオタマジャクシの尾びれの塗りのかすれ具合に、日本画の「プロ」のワザを私は感じた。(尾びれは布で出来ていた。)

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日本画科と邦楽科による作品        Masakazu Ishikawa

 

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日本画科と邦楽科による作品に添えられたオタマジャクシ     Masakazu Ishikawa

 

 藝祭の正しい楽しみ方は、学生が運営する出店でビールを買って、それを飲みながら御輿作品を見比べたり、学生のクラシック声楽やバンドの演奏を聴くということである。学内の一角で、Jazz演奏が行われており、その素晴らしいセッションに思わず足が止まった。さすがは東京藝大、たぶん音楽科の学生らの演奏なのだろうと思いつつ聴きほれて、終わってから訊くと、なんと藝大だけではなく、早稲田や法政の学生で、さらに驚いたことには、きょう初めて出会って初めて一緒にセッションをしたのだということだった。(写真中央の女性ギタリストは早稲田の学生。)

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ジャズセッション     Masakazu Ishikawa

 

 藝祭には、藝大の学生たちが作ったグッズも売られていた。その中でも、特に私の目を引いたのは、日本画科の学生らが作った「はっぴ(法被)」だった。

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はっぴの絵を描いた竹内ひかりさん     Masakazu Ishikawa

 

 このはっぴは綿地にスクリーン印刷で絵をプリントしてある。右袖などに書かれた達筆の文字は、書道の師範級の学生が書いた文字だという。絵は観たとおりの孔雀(くじゃく)で、日本画科1年生(なんと!)の竹内ひかりさんが原画を描いたものである。孔雀の眼光の鋭さに私は思わず立ち止まったのだった。ちなみに、竹内さんは、戦前京都画壇の重鎮の竹内栖鳳(たけうちせいほう)さんとは、何の関係もないとのことだった。(遠い親戚には違いないと私は思い込んだが。・・・)

 この法被は頒価7500円。私は一旦通り過ぎたものの、後ろ髪をひかれる思いで後ほど戻り、一枚お買い上げさせていただいた。

 不思議なことに、今年の藝祭は、去年よりもはるかに熱気にあふれていると感じた。去年の会場はどちらかというとスタティック(静的)な雰囲気が漂っていた。毎年1年生が主体となって行う行事のため、その年の1年生の気質が如実に表れるのかもしれない。

 

    Copyright © 2012  Masakazu Ishikawa

 

 

 

2012年7月 4日 (水)

「西行の道」の歌碑を四国の坂出に歩き見る その2

 

 前回のブログ「崇徳上皇の遺跡と「西行の道」の歌碑を四国に巡る」で、西行の道を歩くにいたった経緯と、東京からのアクセス:ルートについて述べた。

 今回以降のブログでは、いよいよ、西行の道の歌碑について言及していきたいと思う。

 

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「煙の宮」こと青海神社そばの「西行の道」入り口         Masakazu Ishikawa 

 

  「煙の宮」と呼ばれる青海神社からは、「西行の道」入り口がすぐそばに見える。

険しい「西行の道」はここから始まる。早速登っていくこととする。

 

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崇徳院の和歌 「思ひやれ・・・」         Masakazu Ishikawa 

 

 最初に目に入ったのが、崇徳院の御歌

「思ひやれ 都はるかに沖つ波 立ちへだてたる心細さを」

であった。

 保元の乱で、この四国坂出(さかいで)の地に流罪となった崇徳院の哀しく切ない思いが直に伝わってくる感じがした。

 

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崇徳院の和歌 「おもひきや・・・」         Masakazu Ishikawa 

 

 

 二つ目の歌碑も崇徳院の御歌であった。

「おもひきや 身を浮雲となりはてて 嵐のかぜに まかすべしとは」

この「浮雲(うきぐも)」という言葉には、憂き(うき)という言葉が掛けてある。

 また、「嵐のかぜ」とは、言うまでもなく、保元の乱をさしている。

 次の歌碑も崇徳院の御歌である。実は、最初の歌碑から五つの歌碑が連続して、崇徳院の和歌が並ぶことになる。

 

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崇徳院の和歌 「憂きことの・・・」         Masakazu Ishikawa 

  

 「憂きことの まどろむ程に忘られて 覚めれば夢の ここちこそすれ」

崇徳院が四国坂出の地にお住まいになられてしばらく経ち、やっとこの流刑地での生活にも慣れてきた頃の歌という感じがする。目覚めて当地の鳥の声を聞き、緑の木漏れ日を見た時に、あれ(保元の乱)は夢のなかでのことだったのだろうか、本当に起きたことじゃなかった感じさえする。と詠まれているのである。

 私には、この歌を見て内心ホッとする感じも一瞬受けたものの、そのあとで、前の二首よりも、かえってこの歌のほうが、崇徳院に対する哀れが一層のこと感じられる。

 

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崇徳院の和歌 「ほととぎす・・・」         Masakazu Ishikawa

 

 

 稚児川の砂防ダムが歌碑の背後に見えた。

「ほととぎす 夜半に鳴くこそ哀れなれ 闇に惑ふは なれ独りかは」

 この歌を見て、ほととぎすが夜に本当に鳴くものなのだろうかと思ったが、それが本当にほととぎすが夜に鳴いたのか、それとも崇徳院が心の中で訊いた鳴き声なのかどうかは、さして問題ではないだろう。いずれにせよ、崇徳院が聴いた鳴き声に違いがないからだ。崇徳院には、夜に鳴くほととぎすが、闇に惑う自分の境遇と同じだと感じられたのである。

 

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山頂はるか。       Masakazu Ishikawa

 

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崇徳院の和歌 「我が心・・・」         Masakazu Ishikawa


「我が心 誰にか言はむ 伊勢の蜑(あま)の 釣りのうけ引く 人しなければ」

 この歌は難解な歌である。伊勢の蜑(あま:海女)という言葉が出てくる段階で、二通りの見方を用意しなければならない。ひとつは、神聖な伊勢神宮に奉納する熨斗(のし)アワビをつくるために、その鮑(あわび)を採る海女。これは神聖さに奉仕する作業である。熨斗鮑は、着物の柄における吉祥紋様である。もうひとつは、神聖な海域、すなわち禁漁区域で漁(すなどり)をする人間の悲しい性(さが)を指しているとする見方である。私は以下のようにこの歌を解釈する。伊勢の海女は、伊勢神宮に奉納する鮑を採取する神聖な職である。おそらくは、海を隔てて流罪にされた崇徳院は、自らの身を、海中に捨てられた鮑に譬えているのではなかろうか。それを救い出して海上に引き上げ、神聖な伊勢の神殿へと導くことが出来るのは、伊勢の海女しかいない。ところが、実際には、「釣りのうけ引く」人さえもいないのが現実なのである。・・・・こういう歌意ではなかろうか。

 

 以上、「西行の道」の入り口から始まる五つも連なる崇徳院の歌碑について説明したが、「西行の道」の歌碑が崇徳院から始まるのは当然のことである。なぜならば、ここは崇徳院が主人公だからである。西行は、崇徳院のあとを慕って来た客人にすぎないのである。

 とはいえ、ここは「西行の道」と名付けられている。いよいよ、このあとに、西行の歌碑が登場する。それはまた次回のこととしよう。

 

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